環境に恵まれすぎているという贅沢すぎる悩み
ちゃんと生きることを休憩中なので、晩ご飯前にこんな高カロリーなものを食べてやりました。
サンマルクのデニブランです。うまい。
猫がいらんこと言ってますが、お隣は夜の世界の女性とお客さんぽかったです。
しゃべるの怖いので、黙々とものすごい勢いで仕事をしていたら、たぶん不気味がられてます。
廊下で他の部署の人に会ってもがんばって笑ったりとか話したりとかするのも、やめてみました。たぶん愛想の悪い人になってます。
コミュ障まっしぐら。でも気にしない。休憩終わったらまたちゃんとやるし。
昨日病院行って産業医のことを愚痴ったら、「そんなんはいはいって言っといたらいいねん。休日に好きなときに寝て好きなときに起きても、こっちの勝手やん。多少は図々しくなりやー。」と主治医に言われました。甘やかされました。
どっちの言うことも半々ずつ聞いとこう。
で、その後主治医が、「昨年の今頃に比べてすごい悪い訳じゃないんやけどねー、周りに過敏に反応されてるせいかもね」と言いました。
要は、昨年の部署は、私が体調悪かろうが、ちょっとばかし年休取ろうが、周りが無関心だったので、あまり記憶に残ってないだけじゃないかということらしいです。
今は、私が体調悪くて朝ちょっとしゃべらないだけで、どうしたどうしたみたいになるので、元気にならなきゃ、みたいに思ってしまって、体調悪いことが気になってしまうらしいです。
そういえば、昨年はしんどくて、昼休みに熟睡してなんとかやってた日とかありましたが、今はおしゃべりが盛んで、あんまり寝る雰囲気でない。
朝も、昨年なら一人静かに、ふう、無事通勤できたぞ、みたいに喜びを噛み締めることができたけど、今は昨日の夜の出来事などについて毎日とめどなく話している気がする。
昨日から一人静かに噛み締めてみているので、若干気まずくなっている。
今の部署の方が断っっっっっ然楽しいけど、楽しいとか悲しいとか、感情が動くということは疲れるということなんだなぁ。
心配してもらって嬉しいのですが、心配してもらってしまってることに気を使うし、いろいろ考えてしまうし。
考えなきゃいいんだろうし、そうすれば感情が動いても疲れないんでしょうが、元来考え過ぎてしまう性格(らしい)ので、難しいなぁ。
楽しくてみんなが気にかけてくれるせいで病気が悪化するって、なんてこったい。どうすればいいんやろう。
かまってほしいけどある程度ほっといて欲しいとか、どんだけ贅沢なんじゃい。