双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

iPS細胞からの妄想の旅

クローズアップ現代をごはん食べながら見ていたら、あの、iPS細胞の画期的な創薬のニュースについて特集をしてました。

山中教授が、「躁うつ病などもiPS細胞実用化による新薬の治療対象の疾患である」というような趣旨のことを言っているのが聞こえてきた気がしてきて、

まじか!ってなったのですが、話題はアルツハイマー病に移ってしまいました。

聞き間違いかな…と思って、後でググってみたら、聞き間違いではないようでした。
http://jcc.jp/news/8755643/
山中伸弥教授に聞く・iPS創薬の可能性-JCCテレビすべて

さらにググってみたら、脳細胞取り出して行う精神疾患の研究は、前から行われていたんですね。リチウムの効き目がいかがなものかという研究がされているらしいです(そこからかよ!)。

さらにググってみたら、双極性障害って、原因が不明な部分がとても多いんですね。家系内で頻発することはわかってるけど、どういう遺伝の仕方をするのかはわかってないんですね。なので特効薬がない。

特効薬がないのは精神疾患一般に言える気がしますが。

…今さら何を言っているんだ、という感じですが、今まであまりちゃんと調べたことがなくて。そもそも最近まで自分は重度のうつ病だと思ってたし。

自分がある日突然ぽっとなったという認識だったので、うつ病みたいに、誰でもなりうるんだよー、という病気だと思ってました。

私の家系に躁うつ病らしき人は見当たらない気がしますが、祖父母の世代より上になると、躁うつ病って病気として診断される機会がなさそうなので、わかりません。

いよいよ病気らしい病気にかかってしまっているのか、と思いました。

双極性だと説明が複雑になってめんどくさいのと、双極性よりうつ病の方がメジャーなので受け入れられやすいのかなと思い、周りの人の多くにはうつ病って今まで説明してきました。
でもちゃんと双極性だよって言った方がいいのかもしれません。そもそも症状が全然違いますしね。


…そんな話は置いといて、iPS細胞の画期的な話です。

研究が進んで、双極性の原因解明と脳細胞的な異常のパターン化がある程度できれば、臨床薬ができるってことなのてしょうか。

ばりばりの文系なのでよくわかっていないのですが…

すぐにはできないと思うけど、私がおばあちゃんになる頃にはできてて、病気としては治っちゃってるのかもしれません。

そしたら、双極性ばあさんのぼちぼちな毎日、なんてブログは開設しなくてすむのでしょうか。

そしたら、のんびりばあさんのほんわかな毎日、みたいなブログを書いてみたい。自分で漬けた梅酒の写真とかアップしたい。
隣にのんびりじいさんがいるかどうかはわからないけれども、いたらいいなぁと思う。
お腹が冷えやすいのんびりじいさんに編んであげた腹巻きとかアップしたい。

…妄想は膨らみますねぇ。

しかし、いまいち病気が治った時のイメージがわかないんですよね。
今の自分がしんどいなと思ってることが、病気のせいでそうなってるのか、性格のせいでそうなってるのか、区別がつかないのです。

うつと躁を繰り返すとか、うつ状態での不眠などのそれぞれの状態特有の症状は病気のせいかなと思うのです。

でも、
できるだけ多くの人に好かれたいという強迫観念に近しいものがある願望とか、
自然体でいると人に迷惑かけるからがんばらなきゃと思うとか、
なにかあってもなくても自分が悪いことをしてるんじゃないかと思うとか、
人になかなか本音が言えないとか、
は、性格だと思うんですよね。
あれ、一部病気かな。やっぱりよくわからないです。

私の生きる上でのつらさは、過去と現在のことは幸せに思っているくせに、一秒後からの未来は、人としてちゃんと生きていけないのではないか、という不安が大きなウエイトを占めてます。

これには病気だからそう思うという側面も、過去の成功体験を信じられないという性格(思考?)的な側面も両方影響してると思います。

つまり、病気が仮に完治したからと言って、この不安が解消される気がしないのです。軽くはなるのかもしれません。

なのでやっぱり、仮に病気が治ったとしても、梅酒を漬けながらほのぼのと暮らせる素敵なおばあさんになれる気がしないのです。

もっと余裕がないばあさんになってる気がします。
結局、地道に認知の歪みを治さなくては、といういつもの結論に至りました。

幸せってなんなのでしょうか。病気が治ったら、普通は幸せですよね。
私はこれまでも今も幸せですが、明日それを維持できるかわかりません。
でも多くの人は、昨日も今日も幸せなら、明日も幸せと思えるみたいです。

今の幸せと感じられる環境が、がんばらないと明日はなくなるかもしれないと思うことは、結局周りにいる人を信頼できてないのかもしれません。