双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

病気を受け入れるってどういうこと?

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散歩していたら、空がきれいで、気分がよかったので、復職するためにはどうしたらいいか、ということを具体的に考えてしまった。

そしたら、このブログの記事にぶち当たった。
双極性障害躁うつ病)をゆっくり受け容れる-It's not your fault
http://rebornflat.blogspot.jp/2013/03/blog-post_16.html?m=1

雷が落ちたような衝撃を受けてしまった。特に後半部分に。

さして目新しいことは書いてないのだけれども、私は、自分が双極性障害という病気を抱えていることを認められずにいたことに、気づいてしまった。

病気のことはとっくに受け入れて、うまく付き合って、時々うまく付き合うのに失敗して、それが今は職を得ることができたから、休職という形で現れている、と思っていた。

私はかねがね、「みんなみたいに」「普通に」生きたいと思ってて、それが叶わないことがつらかった。
でも、つまづきながらではあるけど、自分の頑張り次第では叶うと思っていた。

ちょっと病気がよくなって、就職できてしまった時、病気になった自分をリセットとは言わないまでも、悟られないように生きていくことは可能なのではないかと思ってしまった。

がんばりすぎないように「自分で」気をつけて、十分に休息をとり、食事をとり、規則正しい生活を送ろうと「自分で」気をつけて、気持ちが不安定になりそうな話は聞き流すように「自分で」気をつけていれば、周りの人をこの病気に巻き込まずに、「迷惑をかける」こともない、と思っていた。
だからあまり、病気のことを人に話す必要はないと思っていた。

私が一番この病気に偏見を持っていて、なめてかかっていた。

対人関係における「みんなみたいに」「普通に」ということを、「双極性障害という病気ではない」と自分で定義している以上、「みんなみたいに」「普通に」は叶わないことに気がついた。

双極性障害でない私、を他人に対しては作ろうと思っていたけど、そんなことは不可能だったのだ。

この病気にかかっているのは私自身のアイデンティティであり、ある程度よくかかわる周りの人にも理解して協力してもらわないと、生活していけないのだ。

この記事でいうところの、「健康な自己の喪失」という儀式を、全然済ましていなかった。

そう考えたら、どうしていいかわからなくて、涙が止まらなくなった。



これ以上考えたら、今から帰っても両親とまともに話せなくなりそうなので、今日はここまで!

このブログの作者さんは何者なのでしょうか。