双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

全部受け入れたほうが楽じゃん

行ってきた合コンが、私が合コンと定義するものと違いすぎて、帰って気分がふさぎこんでしまいました。

行く前に書こうとしていた、「合コン考」という記事には全く当てはまらないような会でした。

 

男たちは、今晩そういうことをすることにしか興味のないような感じの人たちでした。

目の前に座っている女たちが、何に喜び、何に悲しむか、まるで興味がないのです。

 

話す相手のパーソナリティに興味がないということは、人類を60億人ととらえるのではなく、(見た目が男と女という)二通りにしかとらえないということではないでしょうか。

それって人生損してるとか、考えないのかな。一生で出会える人の数は限られているというのに。

私だって清廉潔白に生きてきたわけではないと思うけれども、少なくとも私の出会ってきた人はどういう関係でもみんな、私を一人の人間としてとらえて、何に喜び何に悲しむか、興味を持ってくれる人でした。

そのことがいかに幸せなことか、身に沁みました。

 

自分が女としてこういう風に記号化されることに、こんなにも自尊心が傷つき、かなしくなるとは思いませんでした。

いい加減に扱われて、いい加減に扱い返すことができるほど、私は強くないのか。

自分のパーソナルを知ろうとしてもらえるだけで、自分を大事にしてもらっていると感じることがわかりました。

人と接するとき、そのことを絶対忘れないようにしよう。

 

 

私を誘ってくれた幹事の女の子は、その場に非常になじんでいました。

「全部受け入れたほうが楽じゃん」

帰りながら話していて、彼女はそう言いました。

彼女はオチのあるおもしろい恋愛遍歴を、コントロールして楽しんできたわけではないようでした。

私は求められることや期待されることをプレッシャーだ、ストレスだと感じますが、彼女は求められ期待されること自体を喜びだと感じ、その内容がどんなに嫌なことでも、嫌だという感情より、求められ期待されることを遂行して満たされる自尊心の方が大切なようでした。

彼氏が暴力を振るおうが、モラハラ発言をしようが、変な性癖を持っていようが、彼女にとっては全部受け入れてしまった方が楽なのです。

話のオチになるような突飛な恋愛の最後は、さすがにそれは無理、というような、そこまで特殊な状況になるまで、彼女が彼氏たちを受け入れ続けた結果でした。

 

彼女にとっては、記号化されても、記号化された自分に何か求められているのなら、満たされるものがあるのでしょう。

だから、ああいう風な遊び方をしても、楽しく過ごせるのでしょう。

 

合コンでの姿と、帰り道の話の内容から、彼女の生きざまを思うと、彼女の感情を想像すると、胸が痛んでたまらなくなりました。

でも、そう思うことはおこがましいことなのか。自分の価値観で彼女の生きざまをはかってよいものか、わかりかねています。