双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

青春まっただ中

試し出勤は、何一つ不自由のない環境で行わせてもらっています。

そもそも直属の上司が、定期的に食事会を開いてくださっていて、部で私が孤立しないように配慮してくださっていました。
そのとき、「焦らないでいいけど、あやさんが戻ってくるのを、みんなすごく楽しみにしてるんですよ」と、一人の先輩がおっしゃってくれました。
私が申し訳なさを感じているのを重々わかった上で、どうしたらそういった、純粋な歓迎の気持ちを表現できるか、ということを、すごく考えてくださっている感じがして、今でも思い出しただけで、胸が熱くなります。

試し出勤が始まってからも、最初は私が再び出勤し始めたことを歓迎してくださり、ひとしきり時間が経った後は、あたかも私がずっと出勤していたかのように、扱ってくださります。

一方で、記憶をなくしてみて、人と接するには辻褄合わせが必要になるのですが、そうしていると、いかに自分が、無意識の部分が大きいとはいえ、疲れ果てるほどに気を使っていたかとか、ぎりぎりの精神状態で人間関係を維持していたかということに、やっと気づきました。

こんなことをこれからも続けていては、とても身がもたない、と思いました。
私の生きづらさは、なにも全てが病気のせいではなかったことに、やっと気づきました。
生きづらさを病気のせいにすることで、生きづらい自分を肯定できたという点では、病気であると診断されたことは、非常に役に立ちました。
しかし、生きづらさを解消する方策を模索する段階では、あまりそこにこだわっていてはだめだな、と思いました。ブログの屋号に反するかもしれませんが。
双極性障害の人間、という人生を、私が生きている訳ではなくて、私という人間の人生を私は生きていて、その人間はたまたま双極性障害という病気にかかっていて、私を構成するものに、病気が関係している部分もあるし、関係していない部分もある、という当たり前のことに、やっと気づきました。

自分の生きづらさを、これまで自分の精神が弱いからだと思いがちでした。現に精神的な病気だし、と。
しかし、元をたどれば、そういう風に必死に人間関係を維持しようとするのも、感受性が強すぎるからで、それ以上でも以下でもないのではないか、と思うようになりました。
感受性が強すぎるから、自分のキャパ以上に、いろいろなことを感じて、考えてしまう。
感受性が強い、という表現に対する評価は、その人の価値観によると思います。
きっと気取った感じに受け取られる方もいると思います。繊細と鷹揚、どちらに好ましいイメージを抱くか、それは人それぞれであるように。

私はこの自分の過度な感受性を邪魔に思っていて、なので、「感受性が強すぎる」という表現は、今のところ自分の欠点として作用しているととらえている、と言いたいということを、言い訳させてください。もっと他にいい表現があるといいのですが。

感受性が強すぎる、という自分の特性を認めることができた私は、せめて、感じたことを否定するのはやめようと思いました。
いろいろなことを感じ取っていた私は、これまで、こうありたい、と思う自分を外から定めて、その外見から辿ると都合の悪い感情を、打ち消していました。
感じた本人に打ち消された感情は、どこにいってしまうのでしょう。また、そんな感情を持つはずがない、そんな自分は許せない、そうやって、自分の感情を殺すことが、自分を生きづらくさせてるのではないのかと思いました。

外に発信しない限り、私が何を思おうが、実害はありません。

なので、恵まれた環境にいることですし、とりあえず、自分が何を感じているのか観察して、自分の感情を殺さないことから始めることにしました。

そうしたら、あんなに楽しいと思っていた仕事が、非常にめんどくさく感じるようになりました。
なので、日曜日に、明日から一週間いやだなー、と思うようになりました。
誰にでもできる仕事をして、帰って黙々と読書をして、この毎日の繰り返しに、意味があるのだろうか、と思ったりするようになりました。

あまりにも今までの自分になかった感情に驚き、私は人間社会に向いていないのではないかと思い詰め、何度目かになる、太宰治人間失格を開いたりしました。

なんてことはない、世の中の人が、10代の半ばから20代の始めに抱く感情ではありませんか。

今まであまりにも、自分には社会に出る能力が欠落しているのではないかと恐れすぎて、そういった若者らしい悩みとは無縁に生きてきました。というより、そういう悩みを抱くことすら恐れていました。

これから遅い青春を、なぞっていくのかもしれません。


…こんな読みづらい文章を書いてましたっけ。
本ばかり読んでいて、斜め読みできるような文章が書けなくなってしまいました。