双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

終わりについて考える

昨日あんなことがあり、さすがに今日はうつがひどいです。

記事が荒れそうなので、うつがうつりそう(この表現合ってるのか)な方はブラウザを閉じてください。すみません。

 

昨日からモーツァルトではなく、ブラームスでもなく、JUJUのラストシーンという曲をエンドレスリピートしてます。

 


JUJU ラストシーン〜最高傑作! [Studio Live]【HD】 - YouTube

悲しい恋の、終わりの場面の歌です。

歌詞は、ドラマチックで、どろっとしてるけど美しいです。

メロディーは、コード進行は一般的ですが時々変則的で、その不安定さが歌詞のドラマチックさを強調している気がします。

短調なのにアップテンポで、衝動的な感情が表れている気がします。

アレンジの、ストリングスがきれいです。

JUJUさんは非常に歌がうまいです。声が個性的です。

 

しかし、私の今の状況に何一つ合致しません。

なぜこれを聞いてると落ち着くのだろう・・・α波でも出てるのか。

 

なんだか、消えてしまいたい気分です。

死にたいじゃなくて、もっと曖昧な感じの、消えてしまいたい感情が去来します。

 

別れる恋人に消えてほしいと思っているこの歌に、消えてしまいたい私の感情が共鳴しているのでしょうか。なんだか強引だなー。

 

うつ初級者の頃、こんな日は、私も例に漏れず、手首の一番皮の薄いところをカッターで切っていました。

そんなたいした程度ではなく、細い糸ほどの傷が残るくらいの、戯事のような感じでした。

心のつらさを、ただ体の痛みで紛らわしたかっただけでした。

見る周りの人へのダメージがすごいので、半年ほどでやめました。今は傷跡など影も形もありません。

でも、その頃の名残で、注射が好きになりました(変態

 

その頃、ブラック企業のような部活に所属していて、私がまだましに思えるほど、精神を病んでいる部員がぱらぱらいました。

その中の一人の、男の子の後輩と、日がさんさんと刺す食堂で、リストカットの話をしたことを思い出しました。

その子も手首は周りの人に悪いからまずい、と言っていて、肩って案外いいですよ、皮膚が薄くて、と教えてくれました。

でも、夏は肩の出る洋服着るからなー、と私が答えると、女の人って大変っすね、とその子は言いました。

内容はともかく、光景と、その子と私が人を思う気持ちだけは、健全な大学生だったと思います。

 

その子は同じ学年の、楽器のとてもうまい女の子と付き合っていて、しょっちゅうカッターを取り上げられたりしていました。

それからしばらくして、その子は健康人になった様子で、先日、その女の子と結婚しました。

 

私は当時、発症とほぼ同時に付き合い始めた精神疾患に詳しかった彼氏に、うつ初級者の戸惑いを、常識の範囲ぎりぎり越え、みたいな感じでぶつけてしまっていました。依存していました。

徐々に私のうつ対処レベルも上がっていき、自分で処理できることが増えていきました。5年くらい付き合いは続きました。

別れの理由はいろいろあったのですが、人生で一番立ち往生していた時に、すっかり自己開示してしまって依存してしまったので、今後何をしても恩返しできないような、後ろめたさを抱えてしまっていました。

そして、自分でできることが増えても、この人がいないと私は生きていけないのではないかという考えが、一緒にいる限り払しょくできなくて、そのことがとても恐ろしく感じました。

 

後輩は始まり今も歩み続けていて、私は始まり終わった。何が違ったのだろう。

後輩は、彼女に依存してなかったのだろうか。

彼女がいなくても生きていけると思えるくらい、自分を強く持っているのだろうか。

自分が一番つらい時に彼女がしてくれたことを、素直にありがとうと思えているのだろうか。

 

私はまだ、誰かに自分の弱いところを、そっくり見せてしまうのが、怖い。

また誰かに依存してしまうのが、怖い。

 

別にJUJUのこの曲がその、私の彼氏との別れ際にぴったし、というわけでは全然ないのですが、だるい頭で終わりについてぼんやり考えてたら、後輩と話した時の、食堂の光景をふと思い出したのでした。

 

 

 

ラストシーン

ラストシーン