双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

私はツキコさんにはなれない(センセイの鞄/川上弘美)

トラウマの原因になった出来事から一ヶ月以上経って、今更な感じですが、ようやく婦人科に行ってきました。

 

婦人科の診察というのは、今話題になってますが、すごくプライバシーをひけらかさなくてはいけなくて。

診察台自体に乗ると、性行為の時と同じ格好をしなくてはいけないんですよね。

それで私はフラッシュバックしてしまって、受診ができませんでした。

 

今日も診察前、とても怖かったです。

でも、今日の先生は、女性で、優しくて、私がパニック起こしそうになったら顔を見て話してくれて、診察中はエコー画面などに視線をそらして気を紛らわせてくれたりして、なんとか最後まで診察を受けることができました。

でも、ずっと怖かった。

 

今日、怖かった、と感じたことを、誰かに伝えたくなりました。

「今度会った時」じゃなくて、そう感じてすぐに、少なくとも数時間の間に、誰かに聞いてほしくなりました。

今までは、そんな選択肢がありませんでした。

おいしいケーキを買って帰ろう、とか、あの録画した番組を帰って見よう、とか、ベッドにもぐってあの本を読もう、とか。

そうやって、気を紛らわせて、自分の中で過去の話にしてから、人に話していました。

 

でも、トラウマ体験を人に聞いてもらって、やっぱり、そうやって一人で処理するより、ずっと楽になる感覚を味わってしまいました。

今まで依存欲コンプレックスみたいなものを抱えて、頑なに、一人で感情を処理できるようになりたいと思って模索していたけど、やっぱりそれは私には無理なことなのかもしれません。

そういう憧れが、目指す生き方が、私の性格と乖離しているのかもしれません。

「今」の感情を誰かに聞いてもらうにはやっぱり、家に帰ったら、誰かに会えることが好ましいと思います。

例えば、友達に電話する、となったら、非日常的になって、電話する行動のハードルも高くなるし、聞き手の負担も重くなります。

私が息を吐く気配を感じるように、「今」の感情を聞いてほしい。反応もいらない。それだけでいい。

日本人の大人で誰かと暮らすとなると、結婚がやはりスタンダードなので、その方策をまず検討してみることになるのかなあ。

 

私は、川上弘美さんの小説に出てくる女性がとてもかっこいいと感じて、好きです。

特にセンセイの鞄の主人公の、ツキコさんが大好きです。こういう風に雑に語りたくなかった、と思うくらいに。

 

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

 

 

ツキコさんは40歳を目前にした、独身の女性で、居酒屋で再会した高校時代のセンセイをうっかり好きになってしまいますが、とても自立した女性です。

センセイを好きになっても、センセイに夢中になって、センセイに会えるかもしれない居酒屋に、毎日通ったりなんてしません。

センセイを好きになって、センセイとたくさんの時間を過ごす前も、一人で楽しく暮らしていました。

軸がしっかりしてて、安定しているけど、時々弱くなって心細くなって、子どものようになって泣いたりもします。

でも、そんな子どもになった自分も受け入れて、子どもになった自分が大人になるまで、一人で待ちます。

そんな風な女性になりたい、そんな風に生きたい、そういう自分を作った上で、もし誰か一緒に生きてほしい人が現れたら、一緒に生きていきたい、と思っていました。

 

私はツキコさんにはなれない。帰りの電車で身にしみて思いました。

でも、ツキコさんになれない自分を受け入れて、それで他にどういう風に生きていったらよいのか、今はまだ皆目検討がつきません。