双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

こわかった

記憶がなくなった当初に、そのことを打ち明けていた友達に、最近になって、
「正直こわいと思った。でも、そういう本とか読んでみたら、全然こわいことじゃなくて、そんなことを思った自分が恥ずかしくなった。」
と言われました。

なんと素晴らしいことか、と思いました。

人間未知のものや現象に遭遇した時、恐怖心を抱くのは自然なことでしょう。
本人ですら、いよいよ私は狂ったかもしれない、と思いました。
私は私の体に起こっていることだから、私自身をこわがることはなかったけど、外から見ている人にとったら、私以上に不可解な現象にうつったはずです。現象だけじゃなくて、私自身が不可解であると感じても、無理はないでしょう。

普通ならそこで離れていってもおかしくないと思うのですが。
そこから本まで読んで、恐怖心を乗り越えて、私と関わり続けようと思ってくれたことが、素晴らしいなと思ったのです。

でもだんだん、やっぱりこわいって思うんだな、ということが、かなしくなってきました。

なんで、精神疾患を理由に、対人関係において、後ろめたい思いを抱いてしまうのだろう。

戻ってきてくれてありがとうだなんて。私に対する恐怖を隠してくれてありがとうだなんて。
信頼関係のある人なら、そうやって、私のことを理解しようとしてくれて、当たり前だ。
それくらいに思えないと、自分は病気だから、いつ人が離れていってもおかしくないのだ、と、いつまでも思い続けてしまう。いつまでたっても、自分も周りの人も、ほんとうには信じられるようにならない。

もちろん感謝の気持ちは大切です。
私は、アンバランスなのです。

こわいと思われてかなしいという気持ちを、受け止めきれそうになくて、咄嗟に締観しているふりをして、見ないようにしてしまった。
打ち明けてくれた罪悪感を、少しでも攻撃してしまうようなことは、したくないと思った。
かなしいと感じたことを、友達にぶつけられたらいいのに。
本当はかなしいと感じていることを、こんなにもわかってほしいのに。

精神疾患を抱えているから、聞き分けのいい、常識的な人間でいないと、嫌われてしまう、と思ってしまう。
嫌われたくなくて、聞き分けのいいふりをしてしまって、感情がアンバランスになって、苦しくなる。

周りの人は精神疾患者と付き合ってるんじゃなくて、(精神疾患を抱えている)私と、付き合ってくれているのに。
私が一番、私と向き合おうとしていないのかもしれません。

今は、「そんなことを思った自分が恥ずかしくなった」という友達の感覚が、純粋に道義的な意味のもので、友達が私を見捨てないでいてくれるのは、義務感からではないか、というおそれを抱いています。
どうしたらそんなに疑心暗鬼になれるのだろうか。