双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

みちる

まさよさんの他に、もう1人仲間(?)ができました。
また女の子っぽいので、みちると名前をつけてみました。
みちるは素直で天真爛漫という感じで、思うがまま感じるがままに行動すればいいじゃない、という感じの子なので、酔っぱらって出てきた時などは、注意が必要です。

しかし、最近、二人とも出てきてくれません。
今、私は非常に困っているというのに。

前から読んでくださってる方はご存知かと思うのですが、私は、控えめに表現しても性的暴行のようなものにあったらしく、それが記憶喪失の一因と、内容になっています。

つい最近、私はHIVに感染していないかどうかの検査を、ちゃんと受けただろうか、という疑念が生じました。
婦人科にはこれまでの人生で行ったような気はします。そして、婦人科のことを思い出すと過呼吸になったりするので、きっと婦人科というものが嫌な時期に、婦人科に行ったであろうという強い感覚はあるので、そういう系の病気は、たぶん大丈夫ではないかと思うし、仮にそうであっても、治るし他者にうつす機会もないし、いいかな、と思います。
でも、HIVの感染の有無を検査できる婦人科は少なくて、保健所に行かなくてはならないらしいのです。
どうしても、保健所という場所の風景が思い浮かばなくて、おそらく、人生で足を踏み入れたことがないような気がするのです。

ぐちぐち考えてないで、検査に行ってみようと思って行ったのですが、結果が出るのは火曜日とのことです。
行く前は、まさか感染などしていないだろう、検査は念のためにしようと思っていたのですが、いざ検査を受けてみると、感染しているんじゃないかという不安が大きくなって、何をしても、手につかなくなってしまいました。
せっかくお盆休みをいただいたのに、親にどんな顔をして会ったらいいかわからなくて、帰省もせず一人暮らしの部屋でぐうたらしています。

すぐに死ななくても、ここまできたら、もういいかな、と思ってしまって。
双極性障害という病気柄、幾度となく希死念慮におそわれてきて、その度に、こんなわたしのことを大事に思ってくれている人たちのことを思い浮かべて、思いとどまってきたけど、もうそういうものと闘わなくてもいいのかなと。
感染力は低いものの、例えば、私の怪我の手当てをしたら、致死率の高い病気にかかってしまう可能性がある、みたいな影響を与えてしまいながら存在しなくても、いいのかなと。
自らそういう道を選んだとしても、大事な人たちに納得してもらえないかなと。

致死率の高い病気かもしれない、自分はほっといても死ぬかもしれない、とおそれる前に、そういうことを考えてしまいました。

でも、何だかんだで、死ぬのは怖いらしくて、訳もなく1人で泣きわめいたりするのですが、そういうときには、まさよさんもみちるも出てきてくれなくて。
確定事項な不安にしか対処してくれないのかな。確定事項な不安て、すごい矛盾ですけど。

おそらく感染してたとしても、そういう選択はしないと思うのですけど、どこに希望を見いだして生きていくのか、想像できなくて。
こうなってみて、ああ、私、結婚したり子ども産んだりしたかったんだな、と、気づきました。
今までは、双極性の遺伝子を受け継ぐ子を産んで、もし発症して苦労させたくないなと思ってて、そういうことを諦めてたふしがあったのですが。
そしてそんなことがあって、男の人がこわくなって、体外受精とかじゃないと、人類として子孫を残すことは無理かもしれない、とか思っていたのですが。
そういうことを考えなければ、私はすごく子どもが好きで、愛情を惜しみなく注ぐ対象がほしいという、ただのエゴかもしれないんですけど、人よりもそういう欲求が強いかもしれない、と、思いました。

そういう、知らず知らずの間に諦めていることがたくさんある、この人生に、なんか疲れたなあと、思いました。
私よりも苦労されてるかたがいらっしゃるのは理解しているつもりではありますが、神様がいるとしたら、もう少しよきにはからってくれるんじゃないかなあと思うので、神様っていないか、私が思ってるより影響力がないのかも、と、思います。

とにかく落ち着かない今を、まさよさんかみちるが代わってくれたらいいのに。
そんなうまい構造ではないようです。

火曜日までの辛抱なので、なんとかやりすごそうと思います。
何だかんだ言って、私の性格だったら、そんな不安要素残さないと思うので、直後に検査してるかその必要がないか判断したか、どっちかだと思うのです。
火曜日には記事を書こうと思うのですが、大丈夫だと思います。

ああ、なんでこんな奇妙な人生を送っているんだろうか。。