双極性OLのぼちぼちな毎日

なんくるなくなーい!双極性2型を患ったOLの、日々奮闘(?)記

繊細 イコール 傲慢、なのか

リワークの見学には紹介状がいるらしく、病院に行ってもらってきました。

そしたら主治医が、「リワーク行ったからって復職できるわけじゃないから!!そんな一生懸命になるな!!ただの生活リズム作りだから!!どうどうどう!!躁転するよ!!」となだめてきました。

がびん。。まぁ、当たり前か。。

要は、復職プログラム自分とこでやるのがめんどくせぇ、という企業が多いから、病院から斡旋して通わせてから復職、というのが今の時代求められてるらしい。

復職の目処がついたわけでもなんでもなかったのね。

 

 

今日は朝は元気だったのに、落ち込んでしまいました。

たぶんこのマンガに引っ張られたからかなと思います。

 

 

この人のマンガは全般的に好きなのですが、登場人物がみんなどこかしら自分に似てて、グサッときます。

なんで今読んだんだろう。。。

 

これは20周年の短篇集だそうです。

この中に、ちょっとばかし何かと目立ってしまい、故郷の田舎で浮いていて、田舎社会に馴染むために自分を殺しているような高校生の女の子が主人公の話がありました。

 

繊細な彼女は「鳥の籠の中にいるようなこの田舎で、自ら籠を作ってしまう」と、親友のモノローグで紹介されていました。

 

結局、彼女は田舎にいるから籠を作ってしまうのではなく、どこにいても籠を作ってしまう生きづらい性格を持っていて、都会で結婚・離婚の後、精神を患って里帰りした故郷で自殺します。

 

その残された娘の生き様を描いたのが、このマンガです。映画化・ドラマ化されたから有名かもしれません。(映像作品では自死遺族の問題はすっ飛ばされてましたが) 

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どうも、私はこの短編の主人公(つまりお母さんの方)に共感してしまったのですが、作者の芦原さんは、解説で主人公についてこんなことをおっしゃていて、ショックを受けてしまいました。

 

繊細と傲慢は紙一重・・・というかほぼイコールだと私は思ってて。

自分ばかり傷ついてると、思っちゃってるんですよね。

 

 

ショックでした。

私はおそらく繊細なのです。まぁ、こんな病気にかかっているし、医者にも友達にもよく言われるし。

でも、「自分ばかり傷ついてると思ってる」と言われると、私のなけなしの自尊心が潰れます。

 

私は著しく自分に自信がないし、まぁ毎日そこそこしんどいと思いながら暮らしています。

そういう経験を活かして(?)、周りの人が苦しんでいる時には、その人が何を求めているのか、想像力をフル活動させて、察して実行しようとします。

それがちょっとでもその人の役に立つことでしか、自尊心を持つことができません。

 

「自分ばかり傷ついてると思ってる」というのは、自分の苦しみしか頭になくて、周りが見えてないということではないですか。

繊細であること=そういう状態だとしたら、自分はいったい何の役に立っているのか、自分のどこに存在価値があるのかわからなくなります。

 

・・・ここまでの人の役に立つ、とか存在価値が、とかいう思考は、今流行りの(?)アドラー心理学でバサッと切られていると聞きました。この本はまだ怖くて読めてません。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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 話を戻しますが、グサッとくるのは、あながちそれが外れてないからです。

本当に自分が苦しい時、「わかるわかる」と励まされてうれしいか、と言われたら、やっぱり、「あなたが想像している以上に私はつらい」と思ってしまいます。

病気になりたての頃、「世界の苦しみを背負ってるみたいな顔して歩いてるよ」と、友達に言われたことがあります。

これは就職してからですが、「あやは自分で自分を不幸にしてるんだよ」とも言われたことがあります。

私も、「自分ばかり苦しんでいる」と思ってるふしはあると思います。

 

しかし、「自分は苦しい」と「あなたも苦しい」は両立するし、その苦しさの度合は比べられないということをわかっておけば、繊細=傲慢ではなくなるんじゃないかな、と思います。

 

私も自分で籠を作って生活しがちですが、籠の中からでも周りをしっかり見つめて、大事な人の苦しみを見失わないようにしようと思いました。