成人式の思い出
今週のお題「おとな」
私が大人への一歩をやっとこさ踏み出せたのは、病気になったことだったんじゃないかな、と今では思います。
私が二十歳の、成人式の日は、ちょうど様子がおかしくなって、病院に行って病気だと言われて、半月ほどたったところでした。急性期ってやつでしょうか。
その日は、朝の五時から美容院に行って、着付けと髪とメイクをしてもらって、たくさん写真を撮って、両祖父母の家に行って挨拶をして、成人式に出てたくさんの同級生に会って、振り袖を脱いで、高校の同窓会に出る、という予定でした。
今やれと言われてもげっそりするようなスケジュールです。
当時はひどいうつ状態な上に、それがなんなのかもわかっていなくて、自分の変化に驚くばかりで、対処の方法も知りませんでした。
善意にしか囲まれていないのに、地獄のような一日でした。
そうなることはなんとなく予想はついたのですが、それでも、成人式に出ないという選択肢はその時の私にはありませんでした。
イベント自体にさほど興味はなかったのですが、こんなに大きくなりましたよと、幸せそうな姿を親や祖父母に見せることに、とても意義を感じていました。
そういう私の人生の節目の思い出を、家族が生きるにあたって、少しでもなんらかの活力にしてくれることを、十分に知ってしまうほど、幸せに育ってしまったので、ないがしろにはできなかったのです。
幸せそうに写真に映らなければいけないと思って、それがしんどかったです。
何年ぶりかの再会を果たした友達たちは、その喜びにとてもテンションが高くて、私も再会できたことはもちろんうれしいけど、ついていくことができませんでした。
でも、テンションを合わせないとうれしい気持ちが伝わらないような気がして、がんばってにこにこしていました。
同窓会なら休めそうな気が今ではするのですが、運の悪いことに、友達多い系優等生キャラだった私は、同窓会のクラス幹事を頼まれていました。
今だったら事情を話して交代してもらう、という選択肢を思いつくこともできるのですが、当時はまだ精神疾患にかかった自分を全然受け入れられなくて、とても友達に打ち明ける気になれませんでした。
幹事といっても受付事務で終わりだったので、会が始まれば特に仕事はありませんでした。
ホテルの宴会場を借りて、立食形式で行われました。会場のいろんなところに輪ができて、会話に花が咲いていました。
疲れも限界に達していたのか、私はとたんに、自分の居所を見失ってしまいました。
みんなの声が遠くなって、自分だけ透明のガラスの箱の中にいるような気分になりました。
耐えられなくなってしまって、私はトイレに駆け込み、会の大幅な時間をトイレの個室で過ごしました。
時々同級生が入ってきて、「あや見なかったー?どこ行ったんだろ。」と話しているのが聞こえてきたりして、身を固くしました。
そこで声を殺して泣きながら、思ったのです。
ああ、これまでみたいな、表層的な考え方や、小手先の身のこなし方じゃ、生きていけないんだなと。
人がどうしてほしいかばかり考えるだけじゃ、自立できないんだなと。
今まで見ないように考えないように楽をしていた、自我みたいなものについてちゃんと向き合ってわかるようにならないと、世間ではやってけないんだなと。
自我みたいなものを考えないように、私のことを守ってくれるものは、これからはないんだなと。
そっからこの病気との付き合いが始まり、大人への扉を開けることができたように思うのですが、まだまだ半分も大人になれてないような気がします。
でも、成人の日にあたり、こんなことを考えてみたら、やっぱりあのタイミングで発症したのは、結構よかったなーと思います。
あれより早かったら、閉塞感がきつい高校時代にかかってしまうし、仕事始めてからだったら、失うものが大きい。
そして、地獄のような一日でしたが、その時の価値観があらわになったので、やっぱり全部こなしてみてよかったなと思います。
私にとっての成人の日は、なかなか強烈な思い出です。
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15歳はとうに過ぎていたけれど、この曲には病気になった当初何度も助けられました。